他人の介入しない世界

 

Twitterでみたマツコの言葉。

 

「結婚、出産、お金、美」

「万人が共通できることはそれしかない」

「自分が幸福かどうか他者に委ねているところが大きい」

「幸福がなんだって言われたら

他人に絶対介入させない。他人と絶対比較しない。

他者を介在させずに喜びを得ることを

持っていることが幸福な気がしています」

 

この言葉、ぐさっとくるね。

他者を介在させないと、私は幸せを得られないと思っていた。

誰かに認められること、誰かに必要とされること

誰かと付き合うこと、誰かと何かを共有すること、誰かと結婚すること

他者に愛し愛されることが、私の幸福なように思っていた。

でも私、1人の世界で幸福でいられるならそうしたい。

 

他者が介在することにより、比較する行為は避けられない。自分だけの世界なら比較対象は自分だけだものね。

思ったこと

この時期に、ゴールデンカムイに出会えてよかったと思ったので感想を残そうと思います。

今の私にとっては、救いの物語でした。

 

 

 

登場人物の背景

最初、ゴールデンカムイを読み始めて思ったことはここまで深い話だと思っていなかったということ。

なんか、熊と戦ったり熊食べてヒンナヒンナしたり雑魚キャラがどんどん死んでいったり…。

アイヌとか幕末とかそんな知識が得られる漫画なのかな〜とか思ってた。

でも読んでいくほどに、登場してくる屈強な男たちの過去が見えてきて

すごく引き込まれた。登場人物みんな、それぞれ辛いと呼ばれる過去を持っている。

戦時中だし、まだ明治末期だし病気で家族を失った者や、戦争で大事な人を失った人がいる。そうだよなあ、失うことの連続の中でこの人たちは未来に希望を見出したり、諦めたり、誰かに盲信すること、なんらかの形で前に進もうとしてるんだよな。

そんな屈強な男たちに本当に心が揺らいだ。

私がもし、この時代に生きていたとして同じように大事な人を失った時

どんな風に前を向こうとするのだろうか?前に向けないかもしれないなとも思った。

中でも自分の大事なものを自ら切り捨てることで自分の存在を証明をしようとする尾形には共感の嵐だった。

 

尾形百之助

幼少期、母からの愛情に恵まれず間違った形で愛情の試し方を覚えた尾形は父や義理の弟にも手をかける。

けど、尾形のお母さんの壊れゆく気持ちもわからんでもないなあと思った。

愛した人が自分のことをもう愛していないと自覚した時どれだけの喪失感や怒りや悲しみがお母さんを襲ったのだろう。

そこにその愛した人が置いていった瓜二つのような顔の子供がいた時どんな気持ちで愛を注げばいいのかわからない。私だったら、毎日本当に泣きくれちゃうかもしれない。

昔の時代のことだから、階層の違う尾形のお母さんと花沢のお父さんは結ばれるのが難しかったのだろう。愛していても他の人と結婚するしかなかったのかもしれない。

尾形はお母さんを殺した(終わらせてあげたって思ってるのかな)後、義理の弟の勇作殿を殺してしまう。これは殺そうとか計画してたのじゃなくて殺してしまったのだと思った。この作品を読む中で尾形は誰からも愛されなかったのか…?とすごく悲しい気持ちになっていたのですが、違うと気づいた。義理の弟の勇作殿だけは「兄さま」と尾形を慕い、愛していた。尾形は、邪魔だとかなぜ自分にこのような態度をとるのか、当て付けなのかとか考えていたのだろうか。

日露戦争の最中、勇作殿の放った「人を殺して罪悪感を微塵も感じない人間がこの世にいて良いはずがないのです」という言葉。

このシーンですね。

これが尾形にとって、勇作殿と決裂した瞬間だったと思う。

勇作殿が、尾形を傷つけようとか、捕虜を殺したくないとかそんな気持ちでいった言葉ではなくて、心の底から「兄さま」を想って放った言葉だと信じています。

それは尾形もどこかで理解していたはず。だからこの先、何度も勇作殿の幻覚に苦しめられたり、アシリパの存在に勇作殿を重ねてしまうのでしょう。

最後に父親を手にかけて、また愛情を確かめようと試みますが父から出た言葉は尾形の闇を一層深めてしまうようなものだった。そして再確認したのでしょう。生を祝福されず愛されなかった人間はきっと何かが欠落するべきなのだと。

欠陥してるわけではなかったかもしれないのに、愛されていない人生などではなかったかもしれないのに、人は自分でそう思い込んだ瞬間そのそこへと向かっていってしまう。

物語は進み、アシリパと行動を共にする中で尾形は何度もアシリパの中に勇作殿を感じるようになる。アシリパは尾形を信用していなかったかもしれませんが、大事な仲間としての愛があったと思う。アシリパさんの優しさは勇作殿に通ずるものがあったのだろうか。一緒に獲物を探し、一緒に食事をして眠る。会話の中でも、愛が何かを気付き自覚していく尾形。

そうだよ、愛ってそんな感じなんだよ尾形!!!と私は物語の中で何度も思った。

そして、最後の列車での杉本、アシリパと闘うシーン。



ここで最後に救われた、と自覚した尾形に私が救われた。

勇作殿からの愛を受け取ってくれてありがとうと思った。

 

救いとは?

私自身、人生に苦悩した時に「ああ、救われたな」と思った瞬間を何度も繰り返してきた。救われることで、前ヘ向き進むことができるからだ。

今回、私は尾形の以下のシーンで救われたと思った。

「不幸に値する人間、幸せになれない人間」だと思い、諦めがついたことがたくさんあったからだ。
妥協できた、これでいいと思えた。

でも、最後までこんな自分の勝手な主観を拗らせて諦めて生きるのはやめようと思えた。

もう取り返しがつかないことをしてきた尾形にとって最期が「死」というのは救いだったのかもしれない。

 

最後に

 

本当にいろんなことを考えさせられた作品でした。本当にいい作品です。余裕ができたら単行本を購入してまたゴールデンカムイの屈強な男たちと冒険をできたらいいな。

全話無料公開してくださってありがとうございました。

002

 

昨日は会社のお世話になってる先輩とたくさん話をした。

はっきり意見を言ってくれて、背中も押してくれる。そんな人。

 

私が抱えているものは、もしかしたらみんなも同じように抱えていて

でもそれでもその抱えたものに折り合いをつけているのかもしれない。

 

これからどうなるのかわからない、未来を考えられる人は強い人だと

いうけど未来に希望を持てているその状況がまず必要なのかなと思う。

 

私は未来に希望を持てない状況を自分で作り出し楽をしようとしているだけなのではないかと考える。

幸せを掴むことは手放すことよりも勇気がいることだと思う。

始めることは何かを終わらせるよりも勇気がいると思う。

 

幸せは維持し続けるのが難しい。いつか終わってしまうのが怖い。

何かをはじめたらそれも維持し続けなきゃいけない。

そう考えたら何も持っていないというのは寂しいけどすごく楽だ。

みんなどこに向かって歩いているか、など考えているのだろうか。

先のことなんて私には今、考えられない。

 

何か盲信できることがあればいいなと思う。

 

001

 

ゴールデンカムイを全部読んだ。尾形と自分が重なって少し安心した。

尾形は他のみんなが俺と違うわけがないと信じていた。

私は他のみんなは私と同じわけがないと信じている。

 

 

私は4月の初めに、大事な人を失う決意をした。

彼と過ごした3年間は私にとって、よいものだったのだろうか。

彼にとって、どんなものだったのだろうか。

私が物心ついた時からずっと抱えていた孤独や不安というものは結婚で解決できるものではなかった。

誰かがそばにいることによって、誰かと一緒に暮らすことによって解決するもの

ではなかった。孤独とは1人ぼっちを指すのだと思っていたが違うようなんだよね。

周りにどれだけ人がいて、愛されていようとも孤独は私と共にいる。

 

 

 

孤独(こどく、solitude)とは、精神的なよりどころとなる人や、心の通じあう人などがなく、さびしいこと[1]

「自分がひとりである」と感じている心理状態を孤独感(loneliness)という。

たとえば、物理的には大勢の人々に囲まれていても、自分の心情が周囲の人から理解されていない、と感じているならば、それは孤独である。当人が、周囲の人たちとは心が通じ合っていないということに気付いていれば孤独である。たとえ周囲の人々の側が、その人と交流があると勝手に思っていても、当人が、実際には自分が全然理解されていないと気付いていれば孤独である。

 

 

上記を孤独と呼ぶのなら、私は他人と接することで自分の孤独を解決することはできないのだろうね。

でも人からの拒絶は猛烈に怖いので、他人が関与していることに間違いはない。

でも他人と関わることで解決できなくて、自分で解決しないといけない、

深く深く落ち込んでいくことがあるけど、それでも自分の真意に近づくことができない。